明日なき世界に明日を見る
我が愛しのロックスター、清志郎さん。
ヤフーのトップ画面にこんなニュースが出てました。
「忌野清志郎にそっくりの人物」が率いていたバンド「ザ・タイマーズ」。
結成時の企画書が見つかったんだそうです。
このニュースを読んで思ったこと。
それは彼が放つメッセージの力強さと、その影響力の強さ。
2009年に亡くなっているので、もう彼がわたしたちの前から姿を消してから7年。
それでも、ネットや雑誌や、はたまた我が家のハードディスクの中身まで、わたしが目にする彼の姿はとても鮮やかで、なぜか今の時代にとてもフィットしているように思えます。
事実、あの震災からの原発事故を目の当たりにしたとき、
「もし、今清志郎さんが生きていたら、どう思っただろう」
「もし、清志郎さんなら何をやっただろう」
っていうことが常にわたしの頭の片隅にはあったし、正直言って彼の不在を悲しむ・・・というよりなぜ今いてくれないんだろう、って憤りに近い感情を持ったりもしました。
仕方ないことなのにね。
清志郎さんは今なお、わたし達はもちろん、たくさんのバンドマンやミュージシャンたちを魅了し続けているし、希望の星であり、進むべき道を示してくれているのだと思います。
だからこそ、
清志郎さんならどうしただろう。
それを体現してくれた、たくさんのバンドマンをわたしは知っているし、自分に可能な範囲で彼らの活動に協力もしてきました。
自分にできたことはとてもとてもちっぽけで、ことあるごとに自分の小ささを実感するわけだけど、だから本当に自己満足なんだけど、音楽が好きな人間の一人として、訳のわからない団体にではなく、自分が大好きで信頼できるミュージシャンたちに自分の想いを託したことは、間違いではないと想っています。
清志郎さんのことを想って誰かが歌うとき、カバーをするとき、いろいろな場面を見てハッピーな気持ちになってきたけれど、それは同時に清志郎さんの不在をわたしに突きつける。
誰が歌っても鳴らしても、どれだけ上手くても、それは清志郎さんの不在を埋めるものには絶対になり得ないということを突きつける。
それでも、鳴らしてくれる人がいることが幸せだと、最近はそう想うようになりました。
これはタイマーズではなくRCの曲だけど、今の世界を本当に上手く表現していると想う1曲。
今を生きる私たちはこの歌を聴いて、明日なき世界の明日を生きる。
ついでに?
4月の大阪城ホールでわたしのテンションをぶち上げた、せっちゃんとエレカシのバージョンも。
すごく好きだけど、テンションあがるし、コブシもあがるけど、でも、そういうことなんだよなぁ。