あの日に思うこと
今年もあの日がやってきました。
あの日、わたしは京都会館でのクロマニヨンズのライブに行くべく、14時半に仕事を切り上げました。
1タイムカードを打って帰る・・・もとい行く用意をしていたときに、同じフロアの先生方が
「地震があったみたいだねー、東京のほうとかけっこう揺れたみたいだよー」
と言いながら、わたしがいた部屋に入ってこられたのとすれ違いでわたしは当時の職場をあとにしました。
でも、なんだか大変なことが起こったみたいだっていうのはわかっていて、でも状況をはっきりつかめないまま乗ったバスの中でケイタイでテレビのニュースをつけました。
悪魔か怪物のように押し寄せる黒い水、レゴブロックのように流されていく車、呑み込まれていく街。
あの光景は今でも驚くほどのリアリティでもって瞼の裏に鮮明に焼きついています。
これが現実世界で起きていることなのか、同じ国で起きていることなのか、わたしが乗っていたバスは「あたり前」に走りすぎていて、なんだかぼわぼわした気持ちになりました。
そして、こんなときにライブになんて行っていていいんだろうか、そんな思いをかかえたまま、待ち合わせをしていた友人と会ったのを覚えています。
2人で話してとりあえず出した結論は、
「主催者がやるって行ってるんだったら予定通り行こう」
というものでした。
でもやっぱりもやもやした気持ちをかかえたまま行ったライブでのヒロトの言葉と、その後に演奏された「エイトビート」は一生忘れない。
「今日は、地球のあの辺りで、大きく揺れたらしいらしいです。
みんな無事だといいなぁ。
一瞬だけ、みんなで想おう。
みんな、無事でいろよ!!」
5年たって、時間を経るごとに自分の無力がいかに無力でちっぽけかということを痛感しながら日々を重ねています。
ブラフマンのトシロウさんがはじめた「東北ライブハウス大作戦」に乗っかってわずかばかりのお金とモノを東北に送ること、ライブに行ったバンドのメンバーに少しのお金を預けること、アラバキに行ってわずかばかりのお金を東北に落とすこと、そんなちっぽけなことしか出来なかった5年間でした。
でも、あの地震がなければ出会えなかった人も音もあったのは確かなことで、それが今のわたしを形づくっているのも確かなこと。
先日、池上彰さんがおっしゃっていた言葉。
「5年たった、というと、5年前に完結してしまったことになってしまう。
だから、あの日から5年、と表現したい」
本当にその通りだと思います。
忘れないこと、笑いながら、踊りながら生きながら、常に日常のどこかで心を寄せること。
そんな、自己満足に満ちた方法でまた1年を重ねていこうと思います。
今年はニットボランティアにも挑戦してみようかな。
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